ティファニー!世界のスタンダードを作り続ける青の使者!ハイジュエラーの代名詞!part4
こんにちは。
Blue Net Jewelryの青柳です。
今日はティファニーを語るうえで欠かせない存在の『ジョージ・フレデリック・クンツ』という宝石学者について書いていきます。
出典:heritage-aj.com
クンツは世界各地に自ら足を運び、今日も高い評価を受ける珍しい宝石を発見した宝石学者です。
世界で最も著名な鉱物学者、宝石学者であると同時に、1907年から亡くなるまでティファニーの副社長を務めました。
クンツとティファニーの出会い
クンツは10代にして、4000点以上の鉱物を収集していました。
1879年、20歳そこそこのクンツは自身の住むニュージャージーで集めた美しい宝石を袋に詰め、単身ティファニーの本社に乗り込み、創業者チャールズ・ルイス・ティファニーとの面会を求めたのです。
クンツは机上にトルマリンを広げ、「アメリカにはまだ発見されていない宝石がたくさんある」と魅力的に語りました。
それを受けたチャールズは「費用は気にせずに、美しいと思う宝石を全て届けなさい」と言って、クンツに大金を手渡したのです。
これが、後に世界的な宝石学者になるジョージ・フレデリック・クンツの物語の始まりです。
「ティファニーダイヤモンド」のカットの指揮
前回も述べましたが、「ティファニーダイヤモンド」とは1877年に南アフリカのキンバリー鉱山で発見された287.42カラットの原石をティファニーが購入して128.54カラットのファンシー・イエローダイヤモンドにカットした逸品です。
この石のカットを指揮したのもクンツ博士でした。
クンツはまだティファニーに入社したばかりで23歳という若さでしたが、宝石への熟練した知識が認められ重大な任務を任せられる事になったのです。
この石は標準的ブリリアントカットである58面よりも24面多い82面にカットされています。
オードリー・ヘップバーンが映画「ティファニーで朝食を」で着用したことで、世界でもトップレベルの有名なダイヤモンドとして知られていますね。
アメリカ政府のためにも働き、数々の賞を獲得。
1883年~1909年には、米国地学調査のために宝石担当の特別エージェントを務めました。
1900年には米国国勢調査の中の宝石に関するデータ収集を監督しました。
クンツは1889年のパリ万博でアメリカの鉱物展示とティファニー宝石コレクションの双方を担当し、ティファニーコレクションで金メダルを、北米の真珠に関する論文で銀メダルを、その他の論文で特別賞を受賞。
弱冠33歳での快挙でした。
その後、米国水産委員会のために真珠を調査し、数回の国際博覧会で米国鉱山省の代表を務めました。
実は...宝石はカラットという重量単位で大きさを表すのが国際的なルールですが、このカラットの制定にもクンツは中心的な役割をはたしたと言われています。
ピンク色が美しい宝石『クンツァイト』の発見
クンツはカリフォルニアのサンディエゴへの旅行中にスポジュミンという鉱物のピンクの変種を発見しました。
発見された当初はトルマリンと判断されたものが、クンツ博士の調査によって
新種の石であることが判明しました。
クンツ博士に因んで、クンツァイトという宝石名になっています。
出典:www.gstv.jp
【クンツァイト/リチア輝石】
クンツァイトはマンガンイオンによりのピンクの彩色を放ちます。
含有する不純物によって、透明・白・桃・薄紫・紫・黄・緑など様々な色を示します。
含有物及びその色によって、桃色や紫色のものはクンツァイト (kunzite)、黄緑色や緑色のものはヒデナイト (hiddenite) 、黄色のものはトリフェイン (triphane) と呼び分けられています。
他にもこのような宝石もクンツ博士によって発見されたものです。
出典:www.rejou.jp
【モルガナイト】
モルガナイトは淡いピンクで薄いパパラチアサファイアのような色をしているベリルです。
ピンク系のベリルはなかなか発見されなかったのでとても珍しがられたこの宝石もクンツの採掘の中で発見された宝石です。
クンツの宝石採集には多額の費用が必要で、アメリカの大富豪JPモルガンがスポンサーについていました。
そのJPモルガンがこの薄ピンクの宝石を見て非常に興味を持ったことからこの宝石はモルガナイトと呼ばれるようになりました。
出典:annwuyn.seesaa.net
【モンタナサファイア】
クンツがアメリカを飛び回って宝石探しをしていた初期の頃、モンタナ州で発見したサファイアです。
1800年代の後半から終わり頃までの間、大量のサファイアが採掘されています。
透明度が高くスッキリした淡い色合いのモンタナサファイアはクンツ博士によって「コーンフラワー色のサファイア」と認められ、世界的認識を得ます。
90年代に全盛期を迎えましたが、産出量が減少し現在は枯渇して閉山されています。
受け継がれる意志
クンツは50歳を過ぎた1907年から亡くなるまでの間、ティファニーの副社長を務めました。
それから50年以上の時が流れた1968年、ティファニーはタンザナイトという宝石を発見し発表するなど、クンツの死後も冒険心にあふれるクンツの精神を受け継いだティファニーの宝石学者が活躍しています。
幼いころから宝石に魅せられ続け、まだ見ぬ宝石を求め宝石を心から愛したクンツ博士は死してなおティファニーの根幹に生き続けているのですね。
長文読んでいただきありがとうございました。
Blue Net Jewelry 青柳惣太