ティファニー!世界のスタンダードを作り続ける青の使者!ハイジュエラーの代名詞!part1
久しぶりの更新となりました。
今回はハイジュエラーの中でも「現在のジュエリー業界の形を作ってきた」 と言っても過言ではない有名ブランド「TIFFANY&Co.」について書いていきたいと思います。
2016年現在、世界で一番有名なジュエリーブランドだと思います。
「女性がプレゼントされて一番嬉しいブランドジュエリー」そう言われる所以を細かく書いていきます。
ティファニーの歴史
ティファニーは、1837年にチャールズ・ルイス・ティファニーとジョン・B・ヤングの二人の共同でニューヨークのブロードウェイ259番地に文房具と装飾品の店「TIFFANY&YOUNG」としてオープンしました。
その時のブロードウェイの図です。
チャールズ・ルイス・ティファニーが父に10000ドルを借りて出店したと言われています。
意外なことに初めはジュエリーのショップではなく「文房具と装飾品の店」として店舗を構えたんですね。
文房具からジュエリーへ派生していく流れの想像がつきませんよね。
このころから新しいことにどんどん挑戦していく姿勢と、企業をより良い方向に進めていく先見の明があったのです。
そして意外にも初めは二人共同での設立だったんですね。(のちにチャールズが全権を握ります)。
ちなみにティファニー設立の1837年は偶然にもフランスで「HERMES エルメス」が設立された年と同じです。
★ティファニーブルーの誕生★
1845年、「TIFFANY,YOUNG&ELLIS」社として初のカタログを発行します。
このカタログは現在の「ブルー・ブック」として継承されています。
この頃からケースやパッケージに鮮やかな青色が使われるようになります。
このようにしてティファニーといえば「ティファニーブルー」という印象が生まれ、今でも継承されています。
ちなみに「ティファニーブルー」のブルーはどこから取られたのかというと、上の画像にもあるように「コマドリの卵」から取られたんです。
古くから青は、真実や高潔さのシンボルでもありました。
そこでブランド創設者のチャールズ・ルイス・ティファニーは、この青を自社製品に添えることを決意。
「ティファニーの品々はどれも気高くあらねばならない」という彼の信念に、こまどりの卵の色はぴったりだったのです。
★二月革命とティファニー★
1848年、ニューヨークから遠く離れたフランスで二月革命が起こります。
この出来事はティファニーが宝飾店として飛躍する大きなターニングポイントでした。
この時に二月革命から逃れたフランスの貴族や権力者達が宝石を現金に換え海外に逃亡すると踏んだチャールズ・ルイス・ティファニーはフランスに飛び、宝飾品を安くで買い付けました。
買い集めた宝飾品の中にはマリー・アントワネットやルイ15世の所持していた高価な宝石類もありました。
フランス王室からダイヤモンドの王冠を購入したチャールズは、「キング・オブ・ダイヤモンド」との賛辞を贈られたのでした。
まだ若いアメリカという国に初めてヨーロッパのダイヤモンドジュエリーを持ち込んだということは、アメリカにとって衝撃的なことだったのです。
ティファニーは、この取引でアメリカを代表する宝石商としての地位を確立しました。
社会の変化と同時にビジネスのスタイルを変えて、大成功したのです。
常に色んな世界に視野を広げ、様々なアプローチを仕掛けていくことが大事なんですね。
★シルバー製品へのこだわり★
1851年、ティファニーが製造を始めた銀製品に世界中が注目し始めます。
アメリカの企業として初めて「スターリングシルバー基準」を適用しました。
*スターリングシルバー・・・シルバーの含有率を92.5%にするというもの。
のちにアメリカ合衆国における公式な純度基準となります。
あまり知られていませんが、ティファニーはこれまで様々な銀製トロフィーをデザイン&作製してきています。
・全米オープンテニスの優勝トロフィー
・アメフト NFL の優勝トロフィー
・バスケ NBA の優勝トロフィー
・野球 WBCの優勝トロフィー
・サッカー Jリーグの優勝トロフィー
そうそうたるスポーツの優勝トロフィーを作製していたんですね。
http://www.brog.co.jp/95_1601.
ちなみに「ニューヨーク ヤンキースのロゴ」のデザインもティファニー社によるものです。
http://ro69.jp/blog/nakamura/36266
ちょっと長々となりましたので、とりあえず今日はこのへんで終わっておきます。
次回のpart2は、ティファニーのジュエリーについてもっとたくさん触れていきたいと思います。
最後まで読んでいただいてありがとうございました。
おやすみなさい。