ティファニー!世界のスタンダードを作り続ける青の使者!ハイジュエラーの代名詞!part5

こんにちは。

Blue Net Jewelryの青柳です。

 

今日はティファニーの創業者チャールズ・ルイス・ティファニーの息子であるルイス・コンフォート・ティファニーについて書いていきますね。

 

一般的に2世は大成しないといわれますが、ティファニーの2代目は独自の道を歩むことで成功をおさめ、煌めき溢れるデザインで世界中を虜にしました。


1848年にティファニーの創設者であるであるチャールズ・ルイス・ティファニーの息子として生まれます。

陸軍士官学校を出た後、家業である宝飾店への経営参加を拒みニューヨークやパリで有名な画家たちから師事を受ける。

初めはティファニー社への就職を嫌がっていたんですね。

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出典:www.tiffany.co.jp

 

アール・ヌーヴォーの第一人者として活躍

1870年代半ばからガラスの製造・工芸に惹かれ、アール・ヌーヴォーの第一人者として知られ、主にステンドグラスやモザイク加工のガラスランプの製作などにおける芸術家として名を馳せました。

 アール・ヌーヴォー

19世紀末から20世紀初頭にかけてヨーロッパを中心に開花した国際的な美術運動。

「新しい芸術」を意味する。

花や植物などの有機的なモチーフや自由曲線の組み合わせによる従来の様式に囚われない装飾性や、鉄やガラスといった当時の新素材の利用などが特徴。


ルイスは、自らが生み出した壮麗なジュエリーだけでなく、ステンドグラスのランプや窓のデザインで才能を発揮したことでも広く知られておりいます。

現在も、美術館、銀行、病院、ホテルのロビーなど多くの場所に色鮮やかな光をもたらしています。

 

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出典:antique-tableware.com

1882年には、ホワイトハウスの内装の設計を行うなど、芸術家として優れた成果を挙げていきます。

 

 

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出典:www.tiffany.co.jp

1893年のシカゴ万国博覧会のために製作したウィンドウ。

 

 

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出典:antique-tableware.com

「教育 イェール大学」 1890年

 

 

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出典:numero.jp

また、ティファニーエジソンとも交流があり、1890年代になると、いち早くオイルランプから電化されたランプへとデザインを変更しています。

 

ティファニー社の顧問に就任

父、チャールズが死去した1902年、ルイスはティファニー本社のアーティスト・ディレクター部門顧問に就任。

そして彼はニューヨーク5番街の本店内にアート ジュエリー部門を設立し、そこで彼独自のジュエリーや装飾品の製作を行いました。

 

ルイスが手掛けた作品

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出典:www.tiffany.co.jp

 上から、

 

ファヴリル ガラスのパフューム フラスク

ルイスが開発したティファニー ファヴリルガラス。

玉虫色に輝く手吹きガラスの、このうえなく美しい作品です。

 

ブラック オパールのネックレス

インドのデザインに着想を得たネックレスを飾るのは、ブラック オパール、ダイヤモンド、エメラルド、そしてサファイヤ。

 

ドラゴンフライ

ブローチ1904年に製作されたこのブローチをはじめ、20世紀初頭にかけて人気を博したドラゴンフライ。

 

オパール アンド ゴールド ブレスレット

多彩な大きさの石の万華鏡のようなきらめきが、優雅に流れる光の川から立ち昇ります。

 

バタフライ ブローチ

「プリカジュール」技法を用いた、まるで本物のような羽根。

ステンドグラスを思わせる光沢をたたえます。

 

ローレルトンホールの建設

同じ頃、ティファニー氏は、ニューヨークの東南部ロングアイランドに、自身の邸宅であるローレルトンホールの建設を行います。

「月桂樹の館=ローレルトン・ホール」

これは、1902~1905年の間に建設が行われた大規模な建物で、84の部屋をもつ8階建ての建物でした。

引き継いだ莫大な遺産の殆どをつぎ込んだとされ、72万坪もあったという。

この建物は、ティファニー氏の美的な理想が具現化された究極の建築物であり、彼の持つ芸術性が遺憾なく発揮された優れた建物です。

残念ながら、ルイスの死後の1957年にローレルトン・ホールは火災にて消失してしまいます。

現在は取り壊されてしまったのですが、建物の一部である4本の柱がメトロポリタン美術館に保存されており、現在も見る事ができます。

 

そして1933年、ニューヨークにて85歳でルイスがこの世を去ります。

芸術的センスだけでなく、時代を読み取る先見性にも優れていたルイス。

芸術を限りなく求める姿勢とその作品は今でも世界中で愛され続けています

 

才能があるのはもちろんですが、その才能を発揮するための努力を怠らず、その想いを芸術作品に昇華していく姿勢が素晴らしいですね。

僕にも才能があると信じてセンスを高めていきたいと思います。

 

最後まで読んで頂いてありがとうございました。

 

僕のセンスを詰め込んだジュエリーは、こちらからご覧ください。笑

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